Bars of My Life

DJ Krush, Mummy-D

DJ Krush on the beat
Bars of my life

Way back 1970 時は令和? 平成? いや 昭和
そのガキは生まれた ハマの片隅で ザ・中流家庭 恵まれたエブリデイ
それも束の間 親の離婚で 始まったオレの blues 涙飲み込んで
ハマから茅ヶ崎またハマへ受け容れたのさ 一切合切 それが8歳

他の子供がアニメやゲームに夢中になる頃見ちまった breaking
バックで鳴ってるのがそいつだった 今思えばそれがオレの初恋だった
キミ探して 揺らぐメンタル時にインポート 時にレンタル
「あんなビッチやめとけって」聞かぬ忠告 すでに中毒 それが16 (16 )

1989 平成元年はオレにとっちゃラップ元年
大学で出会ったマイメンと結成したグループの名は言うまでもねえ
だけどその頃 まだ まだスキルとばかずが足らずに味わった dis と beef
それは いまだにオレのトラウマで別の言い方するならカルマで
いつか世界がオレをわかるまで やったろうと誓ったぜ twenty-four

時代がオレに遂に微笑む 3000のオーディエンスがどよめく
忘れないぜあの雨の野音 飛ぶように売れるヴァイナルに自分でも戸惑う
決して譲れないオレのそれは すべて Shibuya が育てた
そこですったもんだありつ 笑いつ泣きつ 腕磨きつ 実った果実がオレの thirty-two

インディーから major label 目紛しく廻る日々と turntable
だけど やがて来たのさ冬の時代がオレだって考えたぜ「リタイアしないか?」
でもこっからが勝負さ まるでジェットコースター 二度目のダウンしたそのボクサーは
立ち上がって再び「Once Again」震わせたのさ日本中 すでに40

最早 誰に 嫌われようが誰に何と言われようが
オレは歴史上の人物 開きな教科書 連れってってやんぜ例の約束の場所
ただ一語 一句 一秒 一瞬にいのちを賭け 書き上げたリリック
束ねて出すアルバム 求めて集まるファン 未だに伸び盛りで働き盛りな fourty-eight

西暦 2019年 は令和元年あの日から30周年
47都道府県でしたのさ濃厚接触 唾かかりそうな距離感で熱唱
がその翌年 世界は沈むウイルスにヘイトにレイシズム
オレは決めた さらに己磨こうと 闇を言葉で満たそうと 56

57 行くぜまだまだ だって前より冴えてんだ頭が
髪は白く皺は深くなりはしたがオレには待ってるのさマシな明日が だって
人生はさながらロングヴァース 長いようで儚いんだ
ならば せめて掴んだこのマイクだけは離したくはないんだ
要は還暦60よりも61 61より62 62より63ってくらい 上手くなってたいんだ オレの sixty-four

Curiosidades sobre a música Bars of My Life de Mummy-D

Quando a música “Bars of My Life” foi lançada por Mummy-D?
A música Bars of My Life foi lançada em 2024, no álbum “Bars of My Life”.
De quem é a composição da música “Bars of My Life” de Mummy-D?
A música “Bars of My Life” de Mummy-D foi composta por DJ Krush, Mummy-D.

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